こんにちは、ロッキーです!
次回の『人生の楽園』に、歴史ある「飛騨古川提灯」の職人となり、技を受け継いだ野中早織さんが登場します。
春に行われる「古川祭」には、町を照らす提灯の明かりが欠かせないといいます。
その伝統の火が消えかけそうになったのを救ったのが野中早織さんでした。
今回は、野中早織さんのwiki風プロフィールや、家族や後継者について深掘りしていこうと思います。
それでは、どーぞ
野中早織(提灯)さんのwiki風プロフィール
プロフィール
生年月日 : 2024年現在で51歳か52歳
出身地 : 飛騨市神岡町
学歴 : 公表されていません
提灯職人になったきっかけ
野中早織さんは、飛騨古川町で唯一の提灯職人です。
1999年、飛騨市神岡町から古川町に引っ越してきました。
その頃は、提灯屋が古川提灯を天日干しする町の風景が当たり前だった様ですね。
しかし、徐々に古川提灯の制作に適している竹の入手が困難となった上に、職人の高齢化や後継者不足によって提灯屋が次々と廃業していきます。
その光景を目の当たりにした野中早織さんは、もともと物作りが好きだったこともあり「長く続いた伝統を絶やしてはいけない」という思いからこの世界に飛び込みました。
2017年、白井提灯店最後の職人であった数川寛子さんに弟子入りし、本格的に提灯制作の仕事についたようです。
画像引用:東海テレビ
提灯職人以前の仕事は?
提灯職人の世界に飛び込んだ野中早織さんですが、実はもともと建築会社で現場監督を務めていました。
神岡町に住んでいた頃から、古川町での現場作業を多くしていた野中さんにとって、古川提灯はすでに故郷のお祭りに欠かせないものだったのかもしれません。
画像引用:東海テレビ
野中早織(提灯)さんの家族(夫・子供)&後継者は?
家族(夫&子供)
野中早織さんには、左官業を営んでいた誠さんという夫がいます。
そして、現在は旦那さんと一緒にりんご園を営んでいるようです。
画像引用:東海テレビ
提灯と同様に、高齢化が進んで後継者がいなかったりんご園を、ご夫婦で受け継いだということです。
一から栽培技術を学び、「雪の中のりんご」と呼ばれる『ふじ』とう品種のりんごを栽培しているようです。
野中早織さんは、午前中にりんご園で作業をし、午後からは提灯制作をするという生活を楽しんでおられるようです。
お二人にはお子さんがいることはわかっていますが、一般の方のため詳細はわかりませんでした。提灯作りの後継者となるのか・・・
野中早織(提灯)さんの後継者は?
飛騨古川提灯とはどの様なものなのでしょうか。
まずは、400年の歴史を持つ古川祭における提灯行列をご覧いただこうと思います。
前半は提灯行列、2分30秒あたりからは神輿が登場します。
この映像を見るだけで、その場の熱気が伝わってきますね。
このお祭りに提灯が欠かすことのできない必須卯アイテムだということがわかります。
コロナでお祭りができなくなり、日本中から祭りの日が消えそうになった時がありましたが、2024年からは少しづつ復活してきましたね。
しかし、こういった提灯制作などの伝統を継承する若者が少なくなっていることが、日本中で問題となってきています。
そこに立ち向かい、伝統の火を消さないと奮闘している野中早織さんは、日本の宝だと言えますよね!
さらに、再び復活を遂げた古川提灯の火を、野中さんから引き継いでくれる後継者が育ってくれることを願います。
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まとめ
今回は「野中早織(提灯)のwikiプロフに家族(夫・子供)&後継者は?」という題名で記事を書きました。
日本の伝統を守る若い力は、これからの時代とっても必要となってきますよね。
それぞれの地元で、後継者がたくさん育つ様な取り組みが必要となってくるのではないでしょうか。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。