こんにちは、ロッキーです!
“浪速のモーツァルト”として親しまれたキダ・タローさんが93歳でお亡くなりになられました。
代表曲で私が特に好きな曲が「アホの坂田」です!
前奏がなるだけで、思わず笑顔になってしまう曲!最近にはない曲調でしたよね〜
今回は、キダ・タローさんの死因や教え子の時から愛を貫いた木田美千代さんについて調べてみたいと思います。
それでは、どーぞ
キダ・タローさんの死因は?
93歳まで、大きな病気もしてこなかったというキダ・タローさん
そのため、死因は老衰ではないかと言われています。
キダ・タローさんといえば、CMで耳馴染みのメロディーを多数作曲されていましたね。
「出前一丁」や「かに道楽」などは、関西人には生活の一部となっていました。
そんなヒットメーカのキダ・タローさんが2024年5月14日にお亡くなりになられました。
ご冥福をお祈りいたします。
世の中に、数々のヒットメロディーを生み出した“浪速のモーツァルト”先生!
天国で、モーツァルトと会った時に何を喋るんでしょうか?
モーツァルトの音楽は、現在ではクラシック音楽と言われています。
しかし、当時はキダ・タローさんと同じように世の中の流行に合わせた音楽だったと思われますので、お互いリスペクトしあった会話がなされるのではないかと想像します・・・
もうキダ・タローさんのように、誰の耳にも親しまれるメロディーを生み出す作曲家は出てこないのかな・・・
亡くなって、その偉大さを痛感しますね。
キダ・タローさんは妻(嫁)木田美千代を生徒の時から愛し貫いた!
キダ・タローさんの妻は、木田美千代さんと言います。
今回の葬儀では、喪主をつとめられることになっています。
画像引用:サンスポ
お二人の馴れ初めは、キダ・タローさんの一目惚れから恋が始まったようです。
キダ・タローさんが懇意にしていた昭和プロのマネージャーが、大阪で三人組の「レモンレモンズ」を育てようとしていました。
そのレッスンを頼まれたのが、お二人が出会うきっかけだったようです。
そこからの一目惚れ!
それこそ一目会ったその日からみたいな感じですねぇ。しかし商品ですから。恋愛感情は持ち込めない。変なヤツと思とったらしいです。そら思いますやん。
引用:サンスポ
商品だから手を出せないと、その時は恋心に蓋をしていたためモヤモヤして不機嫌な態度をとってしまっていたようです。
しかし恋の神様は微笑んだんですね〜
なんと、木田美千代さんが結核を患ってリタイアしてしまいます。
これで生徒ではなくなったことをきっかけに結婚に至ったようです。
しかし・・・プロポーズは木田美千代のお母さんに「結婚したいです」と言ったそうで・・・
最初は、本人には恥ずかしくて言えなかったようです。キダ・タローさんの性格が出てますね(笑)
まとめ
今回は「キダタローの死因は?妻(嫁)木田美千代を生徒の時から愛した人生!」という題名で記事を書きました。
奥さんの木田美千代さんも、寂しくなるでしょうね・・・
一途に奥様を愛し貫き、天国へめされたキダ・タローさんのご冥福をお祈りいたします。